試みにあわせず

 

私たちの日常は危険がいっぱい。ハリケーンや台風が多発、地震も世界中で頻繁に起こり…。自然災害以外にも、誘惑で危険に陥ることもよくあること。  マルチン・ルターはこう言った。「私たちは前も後ろも、試みに取り囲まれていて、それを自分では、追い払うことができない。」と…。確かにその通り。

 

試みの背後には必ず試みる者がいる。が私たちには見えないし、なかなか気が付かない。主イエスは試みる者をよくご存じで、一生涯その者と戦われた。主イエスの人生は、まさに試みの連続だったと言える。

今日は主イエスの公生涯の初めと終わりにあった、試みについて考えてみよう。

 

1.公生涯の初め―荒野での試み

マタイ4:1-11(今日のテキスト)で、イエスは荒野で試みる者に会われ、挑戦を受けた。

 

さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。

すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」

イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

 

サタンの3つの誘惑の内、第一は、

(1)「石をパンに変えて見よ。」と言うもの。断食で40日間何も食べていないイエスに、サタンは食欲から迫った。それに対し、イエスはみことばから答えた。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」と…。

 

 

(2)次にサタンはイエスを高い神殿の頂に置き、「ここから飛び降りて見よ。みことばにこう書いてある。」と、今度は敵もみことばを用いて再度挑戦してきた。4:5

 

すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」

イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」

ここでもイエスはみことばで答えられ、サタンをシャットアウトしておられる。

 

(3)3度目に、サタンは、イエスを高い山に連れて行き、全世界の栄華を見せ、「ほしいだろ」と言わんばかりに、こう言った。

 

(今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。)「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」

イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」

 

イエスは今回もみことばから再度答えられた。サタンをただ1度でも拝むならば、サタンの手下になって、二度と立ち上がれない。ここでイエスが用いた、サタン撃退のことばを良く見てみよう。「引き下がれ、サタン。」  私達もこの言葉を同じように使うことができる。ただし「主イエスキリストのみ名によって命ずる。引き下がれ、サタン。」

 

こういう時にサタンは、たじたじになる。主イエスには勝つことができない。主イエスはサタンに打ち勝ったお方。今の時だけでなく、イエスは、ずっと毎回勝利され続けたお方。(4:11)

 

すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

 

イエスは、3度とも神のみことばを持ってサタンを退けられた。みことばには力がある。みことばを知って、みことばを用いよう。敵は人の弱みを知っている。あなたの弱い点も知り尽くしている。敵に引き込まれないように、常に心にみことばをたくわえましょう。みことばを読み、みことばを学び、みことばを暗記してください。いざという時にとても役に立つ。

 

2.イエス公生涯最後の試み― 十字架

マタイ27章にイエスが捕らえられ、十字架につけられるまでの話が記されている。その時、祭司長、律法学者、長老たちなど、ユダヤの宗教指導者たちが言ったことばに注目。(マタイ27:39-43)

 

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」  同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」

 

実は、これはイエスの生涯最後で最大の誘惑。サタンが指導者たちを用いて言わせている。

イエスは十字架から降りることもできた。死人さえ生き返らせた方、無限の神の力を持つ方。十字架にかかる前夜も天から軍勢を呼び寄せることができると言われた方。十字架の釘をポンと抜いて、地上にすっと降り立つことも、いとも簡単にできたはず。しかし、あえてそれをされなかった。なぜか? 

 

それは私たちを救うため。イエスが十字架から降りたら、人類の救いは完成しなかった。それをご存知のイエスは、すさまじい痛みと苦しみの中で、十字架に耐え抜いてくださった。だから、イエスの十字架の苦しみは、私達とあなたのため。あなたを救いに導くためのものだったので…。考えられないほどの大きな試練だった。これほど大きな試みはない。イエスは苦痛に耐え抜いて、息を引き取られ、ご自身の命を天の父に引き渡された。

 

3.主イエスの生涯の初めと終わりの試みをかいま見たが、実は主イエスの人生は、始めから終わりまで、ずっと絶えることなく、試みの連続だった。様々な試練があり、数え切れないほどの侮辱、屈辱、あざけり、嘲笑を浴びられた。これだけ多くの苦しみ、悩み、痛み、試みを経験されたイエスだからこそ、私たちをもあわれんでくださることができる。主イエスは、私たちに「主の祈り」でこう言われる。「試みにあわせないで、悪より救い出してください。」と…。

 

主イエスはあわれみのお方、愛のお方、救いのお方。すべてをご存知のお方。私たちが苦しみに会うこともすべてご存知。… この中に、今苦しみの真ん中にいる方もいらっしゃるでしょう。その方の痛みを知るために、イエスはご自身が十字架で苦しんでくださったので…。ですから、あなたの苦しみは、そっくりそのまま、主イエスに委ねましょう。肩の荷を下ろして楽になりましょう。

 

私たちは、いつも危険の中にいると初めに言った。様々な試みが取り囲んでいる。イエスは私たちの状況をよくご存じ。サタンがいろんな方法で足を引っ張ろうとしていることも、主はご存知。敵は私たちの信仰を奪い取ろうとし、私たちの目を神から離させようとし、礼拝に出られないように仕向けたりする。

 

私たちは自分で強いと思っていても、本当はとても弱いもの。誘惑にも弱い…。

「俺は意志の力が強いんだ。禁煙だって何てことない。禁煙はもう30回もやってる。」と言う人は、何度も挫折している自分が見えていない…。私たちの周りには、いろんな誘惑があって、あなたを誘(いざなう)…お酒、たばこ、ギャンブル、女性、ポルノ、種々の快楽、ゲーム、お金、権力、パワー、財産、などなど...私たちはそれらに、すぐに引き寄せられてしまう。そうなれば、敵の思うつぼ。

 

私たちは人間的には、サタンより弱い者だが、主イエスの力を持って戦うことで、敵に勝利することができる。主イエスが間に入って、私たちの盾となって戦って下さる。私たちは、絶対に負けない…。

試みにあった時は、どうすべきか? みことばに立ち返るべき。イエスが3度、サタンの攻撃を退けたのも、すべてみことばだった。みことばの力を最大限に用いましょう。

(試みと試練は意味がかなり違う。試みはサタンからの誘惑。それに対し、試練は神から与えられることが多い。

たとえば、試練に関するみことばは、1コリント10:13にこうある。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えて下さいます。

そう、試練は神が与えて下さるもの。神があなたに耐える力を養うために与えられる。いわば、試練は神からの訓練。その時も、試練とともに必ず脱出の道も備えて下さる、と約束されている。)

試みとは、サタンからの誘惑を言う。敵のどんな試みであっても、主イエスの力によって立ち向かうことができる。主イエスは愛の力によって、すべての敵に勝利されたお方。最後にそのみことばを読んで終わり…。

(ローマ8:32-39)

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 

私たちは主イエスの力によって、何よりも強いのです。 苦痛の中の人は、その重荷や苦しみを主イエスに明け渡して…。主が取り除いてくださる。いつも主の力と、愛の中にいましょう。

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